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私が高校生の時です。
母が破産をして、2年から無利子の奨学金を受けながら、
周りの助けもあって、違う学校へ転入してまた高校に通う事が出来ました。
その時、また新しい学校の制服などを揃えないといけないですが買うお金がなく、
全て退学した生徒の使用済みの物を使っていました。
制服はサイズが選べず、昔の女ヤンキーみたいにスカートが長いし、
ブレザーやセーターも全てダルダルで、とても不恰好でした。
勿論、制服やカバンには使っていた人の名字が残っています。
他の人達は、制服でアレンジをしておしゃれに着飾っていたのですが、
私には自分で処理できないくらい大きいサイズだったので、
比べるととても灰色な青春を過ごしたと思います。
女の子は丁度おしゃれを意識する頃なのに、
私は彼氏なんて存在を考えるなんて贅沢な事でしたし、
携帯もクラスでは私だけ持っていませんでした。
あの頃は自分を殺していたように思います。
その時の家での食事も質素というよりは、菓子パンが主食で偏食な食生活でした。
母は仕事を一日中していて私は夜までアルバイトで、
まともに料理をする気力や時間がなかったからです。
破産手続きの裁判費用が借金になり、返済していく日々が続き、
お弁当を買う余裕なんてありませんでしたし、
パンが生活する中で一番ちょうど良い値段で買えるご飯でした。
学校でも菓子パンばかり食べていて、特にカレーパンを好んでいたので他の人から、
カレーパン女などと言われていました。
今はその事を思い出して、少しカレーパンが苦手です。
教科書ももらい物でしたが、そこには落書きが沢山あって、
たまに面白おかしく、歴史上人物が変な顔になっていて楽しめましたが、
男子が使っていた後だったからか、アイドルの名前が沢山書いてあって、
それをたまたま見られて他の男子に誤解されて、からかわれた事もありました。
転入生で、放課後も学校近くのスーパーでアルバイトをしていて、
友達と深く交流する事は出来ませんでしたし、大体一人の時間が多かったように思います。
そんな環境でも、辞めずにちゃんと2年間高校生活を全う出来た事は、
今の私の誇りになっています。
周りに助けてもらった事の感謝の気持ちを、
ちゃんと見せて恩返ししたいという気持ちが、私を強く支えたのかもしれません。
今は社会人になって、あの時よりも自分に使えるお金や時間があるので幸せですが、
何かあった時は、高校生の頃を思い出して頑張っています。